研究日和

とある大学で研究している大学院生です。日々の研究の話、読んだ本の話などをつらつらと書いています。

【シリーズ】ジャック・ランシエール(0)

こんにちは。

 

今回は、ちょっとした予告をします。

 

タイトルにもあるように、これから数回にわたって、現代フランスの哲学者であるジャック・ランシエール(Jacques Rancière)に関するブログを書こうかなと思いつきました。

 

ちょっとした機会がありまして、ランシエールの著作(日本語訳されたものがほとんどですが)をほぼすべて読んだことがありまして、その時に考えたり思ったりしたことをここでまとめてみたいと思ったので。

 

まずはネット上でも拾えるような基本的な情報を整理しましょう。

 

ジャック・ランシエールは、1940年にアルジェリアで生まれました。

 

フランスの高等師範学校で哲学を学び、1965年にルイ・アルチュセールやエティエンヌ・バリバールらと『資本論を読む』という論集を発表しました。

この本は日本でも、ちくま学芸文庫に収録されたものです。

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60年代フランスにおけるアルチュセールの影響力はすさまじく、しかもフランス共産党のイデオローグでもあったわけですから、彼の政治的発言力は思想界隈でもまれにみるものでした。

 

さて、そんな師匠を持つランシエールでしたが、1974年に出版した最初の単著である『アルチュセールの教え』という本で、その師匠を痛烈に批判します(詳しくは次回のブログで)。

 

そうしてやがて師匠から距離を置き始め、発表した研究成果として、『プロレタリアの夜』や『無知な教師』があります。

 

このあたりの著作を読むと、伝統的な、例えば「ドイツ観念論」やら「イギリス経験主義」やらには与しない、今どきの言い方では「在野の哲学者」に焦点を当てていることが特徴だと言えます。

 

おそらく権威主義的なものが嫌いな人なんでしょうね。師匠に背いたのもそこに理由があるような気がします。

 

さて、ランシエールはその後、美学や政治に関する著作を多く刊行しますし、今でも刊行しているのですが、ここで「美学」や「政治」は別々に論じられているわけではなく、それぞれ関連しています。

 

詳しくは別の機会を設けますが、「美学」を意味するaestheticsは、ギリシア語の「アイステーシス」が語源なのですが、これはひとの感覚に関するものを意味します。

 

有名なのは、カントが『判断力批判』において、美学とは「感性の学」であると述べたように、美学というのはひとの感性に関する学問のことです。

 

そのため、感性に触れる「芸術」が主題になるのは自然なことだと思います。

 

そしてこの芸術や美学が「政治」に関わるのは、例えばヴァルター・ベンヤミンの有名な「政治の美学化」「美学の政治化」や、ハンナ・アーレントの『カント政治哲学講義』における共通感覚論が政治論として語られる文脈があります。

 

おそらくはこうした文脈上で、ランシエールも美学と政治の問題を考えているのではないかと思うのです。

 

 

さてさて、書いているとキリがなく、おそらく長くなってしまうため、ランシエールについてはシリーズ化して細々と続けていこうかなと思っています。

 

今のところ考えているのは、

(1)労働者であり哲学者であれ――『プロレタリアの夜』

(2)知性の平等という仮説に基づく教育――『無知な教師』

(3)知性の平等と観客としての市民――『解放された観客』

(4)感性と政治――『不和あるいは了解なき了解』

(5)民主主義への憎悪への憎悪――『民主主義への憎悪』

(6)ランシエールフローベール――『言葉の肉』および『平等の方法』

といった内容を考えています。

 

もしかしたら増えるかもしれませんし、削るかもしれませんので、その点はご了承ください。

 

それでは、次回以降をお楽しみに。