研究日和

とある大学で研究している大学院生です。日々の研究の話、読んだ本の話などをつらつらと書いています。

他者たちと共に、街角で結集する諸身体――ジュディス・バトラー『アセンブリ』

昨年、といっても、およそ2年前に日本語訳が出版された、ジュディス・バトラーの『アセンブリ』ですが、その原著は2015年に出版されました。

 

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なんとほぼ同時期に、ネグリ=ハートという政治思想の分野では有名な二人が、『アセンブリ』という同じタイトルの本を出版したことでも話題になりました。

 

アセンブリとは、「集会」といったような意味ですが、翻訳者も注を付けているように、assemblageはもともとジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリのagencement(動的編成)の英語訳です。

 

つまり、アセンブリという語には、動的に編成する集会といったような意味合いが込められています。

 

著者のジュディス・バトラーは、『ジェンダー・トラブル』という本で有名になったジェンダー研究者であり、自身もレズビアンであることを公言しているフェミニストでもあります。

 

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そんな彼女ですが、近年では倫理や政治に関する著作を発表しており、『アセンブリ』もそうした文脈で書かれたものです。

 

バトラーが本書で注目するアセンブリ=集会は、のちに「アラブの春」「エジプト革命」とも呼ばれる、2010年にタハリール広場ではじまったデモに代表されます。

 

実際、この運動の分析のために本書が書かれたといっても過言ではありません。

アセンブリ』の序論は次のように始まります。

 

「二〇一〇年冬の数カ月にわたって、多くの人々がタハリール広場に姿を現して以来、学者やアクティヴィストらは、民衆集会の形式とその効果に新たな関心を抱くようになった。その問題は、古くからあると同時に、時宜に適ったものでもある。」(6頁)

 

バトラーの問題関心は、こうした集会の形式と効果について考察することであり、更に言うならば、それを「身体 body」の観点から考えるというものでした。

 

 こうした身体に関する議論が顕著になるのが、本書の第3章で展開されるレヴィナスに対する解釈です。

 

レヴィナスといえば、「顔」という概念を用いて倫理思想を展開した哲学者ですから、必然的に身体と倫理の関係性を考察することに帰着します。

とはいえバトラーは、レヴィナスがやや宗教的な共同体主義を前提に倫理を考えていることに反論し、ローカルな共同性ではなく、グローバルな倫理の在り方を考えようとします。

 

「彼[レヴィナス]の失敗は、私たちの直接的所属の領域を超えているが、それにもかかわらず私たちが所属している人々・・・へと倫理的に応答することを求める彼の定式化とまったく矛盾している」(142頁)

 

「私はここでレヴィナスから距離を取る。というのも、私は倫理的思考に向けた自己保存の本源性への反論には賛同するが、他者の生、他者のあらゆる生、私自身のある種の結び付き――つまり、国民的、コミュニタリアン的帰属には還元できないものを強く主張したいからである」(143頁)

 

バトラーの基本的な主張は、そうしたグローバルな他者との結びつきを考えることにあるので、国民的な、共同体主義的な「帰属」に還元されない結びつきを考えるべきだというものです(これがのちに「もう一つのユダヤ性」と呼ばれることからも分かるように、ユダヤ思想を念頭に置いた議論でもあります)。

 

 

おそらく、こうした他者の問題、あるいはこうした他者たちと連帯するために求められたのが、身体の次元なのでしょう。

よく考えると、地球上の人々は、言語も文化も違う国に住んでいますが、それでもなお共通しているのが「身体」をもっているということでしょう。

身体を基盤に置いた連帯の可能性。

これこそ、バトラーがアセンブリを可能にするものと考えていたものでしょう。

人々が集会を行い、身体を結集させる「行為化」は、次のように語られます。

 

「「現れ」は、可視的現前、語られた言葉を指し示しうるが、またネットワーク化された代表や沈黙をも指し示す。さらに、私たちはそうした行為を、唯一の種類の行為、あるいは唯一の種類の主張への厳格な一致を必要としない仕方で収束的目的を行為化し、全体として唯一の種類の主体を構成しないような諸身体の複数性を想定することで、複数的行動として考えることができなければならない。」(213頁)

 

ここで注意したいのが、身体は行為を支える「諸身体」、つまり複数の身体であるということです。

 

この身体は、ア・プリオリな統一性に還元される個体ではなく、バラバラの主張を、バラバラのままで、それでもなお身体を結集させるという仕方で「アセンブリする」身体なのです。

 

簡単に言えば、それは街頭に集まり、それぞれ別々の主張を行いながら、それでもなお共に行進するデモのような在り方でしょう。

 

ひとつの主張には決して還元されない、一人一人の要求・主張・意見を、バラバラのままで結集させること。

 

これはおそらく現代のポピュリズムの一つの形を意味しているのではないかと思うのですが、ポピュリズムについてはおいおい記事を書きたいと思います。

 

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今回はジュディス・バトラーの『アセンブリ』を紹介しました。

 

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この勢いで、例えばエルネスト・ラクラウの『ポピュリズムの理性』も解説できればいいなと思います。

 

 

ちなみに、シャンタル・ムフの『左派ポピュリズムのために』についてはすでに記事を書いていますので、ぜひ参照してください。

kenkyu-johou.hatenablog.com

 

それでは。