映画と政治――岡田温司『アガンベンの身振り』
こんにちは。
今日は岡田温司先生の『アガンベンの身振り』という本の紹介をしたいと思います。
御著書の多くも美学関係のものが多く、岩波新書の『デスマスク』など非常に興味深い本をものしている方です。
そんな岡田先生は、アガンベンの研究者としても有名です。
ジョルジョ・アガンベンは、現代思想をリードするイタリアの思想家ですが、彼の思想は哲学から美学、政治哲学など、多彩な領域を縦横無尽に語るところに特徴があります。
もちろん現在も注目されていますが、一昔前、「生政治」というキーワードが話題になった際に、フーコーやアーレントと並んでアガンベンが注目されたような印象があります。
特に金森修先生の『〈生政治〉の哲学』という本で論じられたのが大きかったような気がします。
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そんなアガンベンに関する論稿を集めて出版されたのが、『アガンベンの身振り』という本です。
ここでいう「身振りgesti」というのは、本書でも「生政治」と関わりあうものとして考えられています。
アガンベンはあるところで映画について論じていて(現代思想家が映画について考えるのは結構普通のことです。例えばジル・ドゥルーズやジャック・ランシエールの映画論が有名です)、その中で「人間とは映画を見に行く動物のことである」と言っているそうです。
さてアガンベンによると、映画は登場人物の「身振り」によって理解することができる。
アガンベンはどうやら、現代のことを「身振りを失った時代」と捉えているようです。
身振りを失うとは、生政治の言説に巻き込まれてしまい、身動きが取れなくなった時代のこと。
つまり私たちは、「私たちの生を支配し管理する政治」によって、行動を制限され、身動きが取れなくなっている。
このことはフーコーも同様のことを論じているのですが、まあ、現代思想界ではよくある権力分析、言説分析とでもいえるのですが、アガンベンはこれを映画の身振りと重ねながら論じているわけです。
岡田先生によると、
「一方で、生政治の装置によって人間の身振りが解体され脱身体化されるようになるのと、他方で、初期映画がとりわけ俳優の身振りや身体にカメラを向けて記録するようになるのとは、ちょうど表裏一体の関係で結びついている、というわけである。」(144頁)
つまり、私たちが身振りを失うのと並行して、映画というものも俳優の身振り・身体にフォーカスを合わせるようになった。それは偶然ではなく必然であったというわけです。
まあ、「初期映画」と言われているように、当時は音声なしのモノクロ映画ですから、俳優の身振りに頼らざるを得ないのは仕方ないことですが…。
しかし、こうした映画の表象と政治(生政治)とを結びつけるという発想は独特ですよね。
このあたりは現代思想の面目躍如といったところでしょうか。
本書は岡田先生のアガンベン論集ですが、美学の専門家の観点から書かれたアガンベン論であるという点で、哲学や政治学の専門家によるそれとは一味違う、アガンベンの論じていることの射程を広くとらえたものとなっているような気がします。
(私は普段、哲学分野や政治学分野のアガンベン論には物足りなさを覚えているので、これくらいの論稿があるとアガンベン理解にとって非常に役立つと思います。)
新書サイズの本ですので、よければ手に取ってみてくださいね。
↓
アガンベンの身振り (シリーズ〈哲学への扉〉) [ 岡田温司 ] 価格:1,650円 |
それではまた。