読書には3種類ある
こんにちは。
今日は、「読書には3種類ある」ということについて書きたいと思います。
くれぐれも、これは文系の大学院生が考える読書のタイプ分けなので、一般的ではないことをご了承ください。笑
私は、本を読むことには3つのタイプがあると考えています。
① 速読
② 通読
③ 精読
です。
①速読は、いわずもがなですが、とにかく速く目を通す読書のことを言います。
このモードは、はっきり言うと読んでいるわけではなく、文字通り「目を通す」モードです。
なので、時間にすると、新書レベルであれば10分、単行本であれば30分で通読するというイメージでしょうか。
このモードは、基本的には情報収集なので、この本はざっくりこんなことがテーマで、何を対象にしたものなのか、を理解する程度のものです。
まずはじめに、目次に目を通します。
その時点で興味の湧きそうな章があれば、そこだけ通読すればよいのです。
目次を見たら、次に参考文献一覧に目を通します。
まあそれくらいすれば、その本がどんな文脈で何を論じた本なのか、くらいの情報は収集できるわけです。
そしてよほど興味がわくようなら、「はじめに」と「おわりに」を読む。
そこまでして「この本は読むべきだ」と判断すれば、②の通読に入ります。
もしこの段階まででピンと来なければ、それはまだあなたが読むべき本ではないということです。
さて、②通読ですが、これは1冊をしっかり読んでいくモードです。
研究書のほかにも、小説は通読モードで読むべきでしょう。
これは1行ずつ、しっかり読んでいく読書法です。
私はこのモードの時は、右手に赤鉛筆を持ち、近くには付箋を置いておきます。
気になるところには線を引いたりメモを書いたりして、さらにこれは重要だという箇所には付箋を貼っていきます。
まあこれは研究対象の本ではなく、勉強するための読書ともいえるでしょう。
あるいは、研究対象ではない哲学書を読むときのモードとも言えます。
③精読とは違って、論理を追っていけばいいだけなのと、要は「この本ではどんな論理で何が語られているのか」を把握したいだけなので、精読レベルの読書法ではありません。
そして③精読は、研究対象の文献を読むときのモードです。
たとえるなら、ドイツ語の分厚い哲学書を、一文一文訳しながら読み進めて、1日かけて3ページ進めば上出来、という読書法です。
精読は研究者の読書法なので、一般には「そんな読み方するの!?」と思われるかもしれませんが、文系の研究ではこれが普通です。
たとえば大学院の演習であれば、1回の購読で1ページ進まないということは普通です。
なぜなら、外国語の文章を日本語に訳すときのズレに突っ込みを入れ、書かれている内容を理解するためにああでもないこうでもないと参加者で検討しているうちに1時間2時間経ってしまうからです。
そんな無駄な時間を過ごしているのか!と思われるのも仕方ありませんが、しかし、そういう読み方をしなければ哲学書を理解することなど不可能ですし、何よりもそうした長い時間をかけた結果、自分でもそのレベルの思考ができるようになること、これが重要なのです。
まあ、適当に読み流すような読書をしていては、深い思索などできるはずがありません。
単語の一つ一つ、表現の一つ一つ、文法の一つ一つを、ひたすらこだわって精密に読むこと。
これが文系研究者の精読であり、そうした読み方を身につけて思索を深めることができることこそ、「専門性」なのです。
こうした実情も知らずに「文系不要論」などが出てしまうのは、当事者として本当に悲しい限りです。
この記事で少しでも世に広まれば…と影ながら思っています。
今日はこのあたりで。