研究日和

とある大学で研究している大学院生です。日々の研究の話、読んだ本の話などをつらつらと書いています。

【シリーズ】ジャック・ランシエール(2)知性の平等に基づく教育――『無知な教師』

ランシエールが1987年に刊行した『無知な教師』は、日本語では2011年に翻訳書が刊行されました。

 

無知な教師〈新装版〉 知性の解放について (叢書・ウニベルシタス 959) [ ジャック・ランシエール ]

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前回も述べたように、ランシエールの問題意識の根本には、「平等」をめぐる思考があります。

 

本書も、教育を主題にしたものですが、「平等」というテーマが通奏低音として響いています。

 

本書が主題にしているのは、19世紀に活躍したジョセフ・ジャコトという教育者の哲学です。

 

この人物が教育において重視したのが、『プロレタリアの夜』でもみられるように、「平等」であり「解放」でした。

 

この時に「平等」と考えられているのは、「知性の平等」です。ジャコトが書いた著作を読むランシエール自身の言葉を引用しましょう(ページ数は日本語訳のものです)。

 

「ジャコトにとって問題だったのは、解放することだった。すなわち民衆階級のどんな人間も、自分の人間としての尊厳を思い描き、自分の知的能力を見定め、それをどう使うか決定できるようにすることだった」(26頁)

 

(ジャコトが言う「普遍的教育」とは)「何事かを学び、そこに他のあらゆる物事を、すべての人間は平等な知性を持っているという原則に基づいて関連させる、というものだった」(27頁)

 

 

この記述の背景になることを述べておきますと、いわゆる近代教育の前提は、知性の優れた者が、知性の劣る者に何事かを教えるという「啓蒙」の考え方でした。

 

学問の世界で「教師‐生徒関係」は、そうした近代教育を指す悪口としては常套句なのですが(笑)、ジャコトを読むランシエールも同様の指摘をしています。

 

そこで、教師も生徒も、あらゆる人の知性は平等であるという原則から教育を考えていこうというのが、『無知な教師』に込められた主題です

 

 

実はこの本の中で、ランシエールソクラテスを批判しています。

 

ソクラテスの問答法(産婆術)といえば、教育学の教科書でも最初に出てくる、いわゆる「教師」や「教育」のモデルとして知られているものですが、ランシエールはこう言っています。

 

「一見普遍的教育に非常に近いようにみえるソクラテス式学習・教育法が、最も恐るべき愚鈍化を体現しているのである。生徒を彼自身の知へ導くと主張するソクラテス式問答法は、実は調馬教師の手法である」(89頁)

 

知を有している教師に従うこと、それは「愚鈍化」と呼ばれる近代教育のロジックと変わりありません。

 

たしかにプラトンの著作を読んでいると、対話の流れをつかんでいるのはソクラテスだけであって、対話者はたいがい「そのとおりだ」「私はそう思う」「それは間違っていないように思う」など、相槌を打っているだけのように見えますよね。

 

ジャコトを読むランシエールは、そういう知性の働かせ方を「愚鈍化」と呼び、それを「解放」と対置します。

 

つまり、知性を解放するとは、何らかの知に追従するような在り方とは異なる、別の知性の働かせ方なのです。

 

そしてさらに重要なのは、知性の解放は万人にとって可能なことであるという点です。

 

知性とは、相手の確認を通して自らを理解せしめる力なのである。そしてただ平等な者のみが平等な者を理解する。平等と知性は、理性と意志がそうであるのとまったく同じように、同義語なのだ。すべての人間の知的能力を根拠づけるこの同義性はまた、社会一般を可能にする同義性でもある。知性の平等は人類の共通の絆であり、人間社会が存在するための必要十分条件なのである」(110頁)

 

ジャコトが知性の平等を前提としているのは、実は彼自身が「無知な教師」だからです。

 

ジャコトはフランス人なのですが、この時彼はオランダ人の学生にフランス語を教えることに取り組んでいました。

しかしジャコトはオランダ語が話せません。つまりフランス語をオランダ人に教えるための手段がなかったのです。

 

そこで彼は、フランス語とオランダ語の対訳を載せたテクストを教科書として選び、それを学生にひたすら復唱させ、暗記させるという教育を行いました。

 

すると学生は、単語の一つ一つに注意を向けることができ、フランス語の単語を習得し、文法をも習得したわけです。

 

これは教師の知性に生徒が従ったのではなく、テクストに書かれていることに学生が注意を向け、知性を解放させたからこそ可能になった学習です。

 

そして大切なことは、これが語学の学習だけでなく、あらゆる学問の学習・創作活動の基本的な原則になりうるということを、ジャコトが示したことでした。

 

まあよく考えると、私たちも教師から押し付けられて勉強したことよりも、自分から意欲的に勉強したことの方が、知識として身につきますよね。好きこそものの上手なれ、です。

 

ランシエールが言いたいのは、そういった知性の解放の仕方が、「普遍的教育」として、近代的な教育に対する考え方のアンチテーゼになるのだということです。

 

 

ここまで見てくると、『無知な教師』のテーマが『プロレタリアの夜』と重なって見えますよね。

 

たとえ注意力に差があろうとも、私たちの知性は平等である。

この前提に従って教育を営むことが、知性の愚鈍化に抗する解放の論理なのです。

 

 

ランシエール自身の著作にあたると、さらなる発見があるかもしれません。

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この記事を通して、読者の方の「知性の解放」が起こってくれれば幸いです。

 

それでは。